| 2005年07月06日 |
| ■火宅の人 -*--------------------------------------------------*- 「火事と喧嘩は江戸の華」と云ふ言葉を思いださすやうな出来事が今、東京で起こっている。 郵政民営化にこだわる小泉首相と同じ自民党内の抵抗勢力との攻防戦である。 この模様の一部始終がテレビで手に取るやうに詳しく報道され面白くてたまらない。 特にここ2〜3日の新聞、テレビでは目が離せない程緊迫した状況となってきた。 大勢の人にもみくちゃにされながら国会内を往来する先生方、それぞれの顔つきが、どアップで映し出される。 「それにしても、ようここまで個性ある、ええ役者が揃ったものだ」と考へながらビール片手にテレビ観戦を楽しませてもらっている。 こんな面白いものを国民の為に命がけで演じて下さる先生方の活躍を見ていると「私の支払う税金など安いものだ」とさへ思えてくるので不思議だ。 そしてこの出来事を寝不足をしながらリアリティーに伝えてくれるマスコミ関係にも頭を下げて感謝している。 金バッチ 火宅の人と なりにけり |
| 2005年07月13日 |
| ■金剛能楽堂にて -*--------------------------------------------------*- こってりとした本格的な梅雨となり、このところ毎日のやうに雨が降り続いている。 今日も降りしきる雨の昼下がり、心晴ればれと金剛能楽堂を訪ね「小倉百人一首フォーラム」に参加した。 まだ新しい能楽堂の中へ入ると格調高い桧皮葺(ひわだぶき)の能舞台が客席へせり出すやうに建ててあり、席に座ったとたん胸がわくわくしてきた。 周囲を見渡すと着物姿の御婦人も多く、どの人も嬉しさうな顔をしていてホッとする。 昔から多くの人が楽しんだこの場所には芸能文化の伝統と風格が漂っている、と思った。 客席最前列の招待席には百人一首研究で有名な中西進氏などの姿も見へる。 明るい能舞台には六曲二双の金屏風が眩ゆいばかりに置かれており、この華やいだ雰囲気の中で競技かるたの模範演技が始まった。 かるたクイーン位の荒川裕里(六段)と立命館大学三回生の陸美幸(五段)がどちらもポニーテールに袴姿で登場した。 読み手は全日本かるた協会専任読み手の山下迪子(八段)である。 あまつかぜ〜 〜乙女の姿 しばしとどめん〜 めぐりあひて〜 〜雲がくれにし 夜半の月かな〜 百分の一秒を争ふ厳しい勝負の世界でもあり、張り詰めた雰囲気の中で山下八段が読む美しく澄んだ声が能楽堂の隅々まで流れる優艶典雅な世界でもある。 今からおよそ八百年前に定家が編んで遺した小倉百人一首…。 底の知れない奥の深さに私は益々のめり込んで行きさうな気がしてならなかった。 七夕に 百人一首を しておりぬ これも又ええもんどっせ。 |
| 2005年07月20日 |
| ■山鉾巡行 -*--------------------------------------------------*- 京都に長年住んでいながら祇園祭の山鉾巡行を最初から最後までまともに見たことがなかった。 今年も宵々山では34万人、宵山には52万人の人が出て夕方から歩行者天国の四条通りがぎっしりと人で埋まる様子を新聞、テレビで報道していた。 最近の私は心に少し余裕もできて、今年こそは祇園祭のクライマックス、総勢32基の山鉾巡行をじっくり見物しやうと心に決めこの日がくるのを楽しみにしていた。 妻が用意してくれた冷たいお茶と昼食用にと直径10cmのズッシリと重い「上用饅頭」を持たせてもらい、ルンルン気分で家を出た。 午前10時に京都市役所前まで来ると、幅の広い御池通り両側の歩道はすでに多くの人で埋め尽くされていてビックリした。 どことなく哀音の漂ふ祇園ばやしがコンチキチンと聞こへ、涼しい風の吹き抜ける気持ちの良い朝である。 間もなく先頭の長刀鉾の姿が見へてきた。 孟宗山、函谷鉾、菊水鉾…など、絢爛豪華な山鉾巡行は動く美術館とも言われ実にゆっくりと静かに進む。 王朝衣装を身に付ける行列の人も観客も扇子片手に笑顔の交流を見せていて、心の和む京都の夏祭りを見に来て良かったと思った。 鉾の屋根には元気な外人も乗っており沿道のカメラマンに愛想を振りまいていた。 賑やかな蝉の声を聞きながら夢中になって見ていたら市役所の時計がキンコンカンコン…〜と正午を知らせた。 ふと我にかへり冷たいお茶を一口飲むと、その旨さが五臓六腑に染み渡るほど美味しかった。 そして直径10cmの「上用饅頭」をいつ、どこで食べようか… とのテーマで頭がいっぱいになった。 巡行はまだまだ続いている…。 蝉の声も段々賑やかになってきた。 時おり救急車のサイレンも聞こへてくる。 迷子の放送も聞こへる。 目の前では警備員が道案内などで大わらわである。 最後32基目の南観音山の巡行を見届けた時には午後1時を回っていた。 その後地下鉄で小野駅まで帰り、小野小町で有名な随心院に立ち寄り、杉木立の中にひっそりと侘む小町の塚の前で一人静かに直径10cmの「上用饅頭」を腹いっぱい食べて帰った。 かにかくに 祇園まつりは 静かなり |
| 2005年07月27日 |
| ■丸物(まるぶつ)の事 -*--------------------------------------------------*- 今朝の京都新聞第一面に、寝ボケ眼の私でもはっきりと読めるくらい大きな活字で「近鉄百貨店、京都店閉店へ」との見出しが見えた。 わたし的には殆ど行ったこともなく関係ない近鉄百貨店の出来事で、これほど淋しさが込み上げてくるのは何故だろうか? 古き良き時代の京都に「高島屋」「大丸」そして「丸物」と、三つの大きな百貨店があったことを思い出す。 どの百貨店にも屋上には楽しい遊具がいっぱいあって、日曜日には大勢の親子連れで大混雑をしていた。 京都市内を一望できる「大丸」の屋上に行くと「ビートルズ」の曲も流れ、若いカップルがソフトクリームなど片手に希望に満ちた眼をしていた。 独り者で修行中の私はそんな光景を横目で見ながらも心のウキウキするデパートの屋上へはよく出かけたものである。 昭和30年代を生きた私たち京都人にとって「丸物」と云へば忘れられない百貨店なのである。 その「丸物」が今から28年前より大阪の匂ひのする近鉄百貨店となっていた。 その近鉄百貨店、京都店が2007年2月で閉店するとのことである。 そして今度は、東京の大手家電量販店が来るとか来ないとか…。 名を変へて 品を変へても あの土地は 「丸物」さんと 我は譲らじ 私の心の中では京都駅前のあの場所は今でも「丸物」だと思へてならない。 |
| 2005年08月03日 |
| ■夏衣 -*--------------------------------------------------*- うだるやうに蒸し暑い京都の夏を満喫しながら染織デザインの仕事をしている。 京友禅を扱ふ得意先の依頼で、今まで何回となく着物に百人一首を描いてきた。 (大江山 生野の道の とほければ まだふみも見ず 天の橋立) 今日も薄鼠色の高級呉服にこの歌を墨描きした。 私が一番最初に暗記したこの歌を詠むと今でも特別な感慨にふけるのである。 天の橋立と云へば今は無き母が毎年私と弟を海水浴に連れて行ってくれた場所である。 その日は早朝よりおにぎりを持って出かけ、大きな松の木の下にゴザを敷いて楽しいわが家の拠点を作った。 大きな汽船と回転橋の見へる素敵な景色が今でも私の脳裏に焼き付いている。 沢山の人で賑わふ天の橋立で泳いでおにぎりを食べたり、あさりを掘ったり…しながら夕方までとことん遊ばせてくれた。 松の木の下のござに一日中座って私たちを見守っていた母の姿… そんな懐かしい夏の一コマを思い出しながら、大江山…と描いたのである。 しあはせな 心よとどけ 夏ごろも …とまぁ こんなことどす。 |
| 2005年08月10日 |
| ■新築祝 -*--------------------------------------------------*- 滋賀県に住む二男が新築の家を建てたので妻と二人で初訪問をした。 緑の自然に囲まれた素晴らしい場所で80坪の土地にゆったりと建つ洋風の家である。 広いガレージには2台の車が停まっていた。 新築祝は清流に泳ぐ三匹の鮎の絵を描いて届けた。 二男が喜んで何処に飾ろうかと大きな額を持ってうろうろする姿が特に印象的で嬉しかった。 そして今でも私の脳裏に焼き付いている。 思へばついこの間まで少年野球に夢中になるやんちゃ坊主だった。 そして今日その二男が建てた家で大きなソファーに座っていると感慨深いものがあり、親として少し複雑な気持ちになったのも事実である。 その後みんなで近くの川へ焼き肉をしにいった。 私は日焼けした2人の孫に誘われて久しぶりに魚とりを楽しんだ。 河原では二男が一生懸命炭を焔こして肉を焼き 「えゝ肉やで〜よぉけ食べてや〜」 と言って柔らかい肉を皿に入れてくれた。 年老いて 子供に還る バーベキュー |
| 2005年08月17日 |
| ■同窓会 -*--------------------------------------------------*- ♪チーチーパッパ チーパッパー 雀の学校の先生は〜お口を揃えてチーパッパ チーチーパッパ チーパッパ まだまだいけないチーパッパ も一度いっしょにチーパッパ チーチーパッパ チーパッパ… この歌を唄うと私が小学校へ入学した当時のあの緊張感が蘇ってくる。 空を飛ぶ飛行機の音を聞くと「あっ!B29だ」と怯え、木造校舎を皮のスリッパで歩く学校の先生と駐在署の巡査さんは怖い人だと思っていた。 私には、敗戦日本の混乱期に小学校、中学校の9年間を共に過ごした幼ななじみの友がいる。 今年も山の麓の温泉センターで同窓会をやった。 思えば終戦から日本経済がようやく立ち直り高度成長へと突入する時まで共に学び、その後様々に激動の人生を生き抜き、勝ち越へてきた仲間である。 みんなで風呂へ入り、テレビを見たりしながらくつろいで、その後話が弾む賑やかな宴会となった。 終戦の 日に盛り上がる 同窓会 |
| 2005年08月24日 |
| ■金太郎 -*-------------------------------------------------*- 二男が小学二年生の「なり君」と三才の男の子「みっちゃん」を連れて泊まりがけでやってきた。 二人の孫は玄関から大きな声で「おじいちゃんピンポンしょうピンポン!」とわめきながら家に入ってきた。 普段は静かなわが家が蜂の巣をつついたやうに賑やかになった。 食卓を卓球台にして楽しむわが家のピンポン…。 これが最近の孫が私とする一番お気に入りの遊びなのである。 なり君は随ぶん上手になりカッコン、カッコンと長く続くので面白くなってきた。 みっちゃんは力まかせでホームランばかり打つので球ひろいの私はくたびれて、へとへとになってくる。 しばらくしてピンポン球がタンスの裏に入ってしまったのでおしまいにした。 冷たいお茶を飲んで一息入れてホッとするのも束の間で今度は絵本を読んでくれとせがむ。 わが家の本棚には小さな絵本が10冊くらい置いてあり、今まで何回となく読み聞かせてきた思い出多き本である。 この本を次から次へと出してきて「おじいちゃんこれ読んで」と孫に言われる。 時間がかかるので中々大変だが今の私には一番嬉しい時かも知れない。 「むかしむかし、あしがら山に金太郎といふ元気な男の子が、お父さんとお母さんと3人でくらしていました。 ところがある日、山に木をきりに行ったお父さんはクマに襲われてなくなってしまいました。」… 力持ちの金太郎が大きなクマを投げ飛ばしたり滝に流されさうになった時、大きな鯉の背中にまたがって助けてもらふ場面など、はらはらどきどきの生涯が面白く描かれている。 そして最後は坂田金時といふ立派なさむらいになり、都にお母さんを呼び幸せに暮らすところで物語が終わる。 このとき思いがけなく小学二年のなり君が、「おじいちゃん俺、この話信じられへん」と言ふのである。 「えっ、どこが〜?」と尋ねると、 「お父さんを殺した熊をホンマに許してやれるか〜?」とか、 「パンツをはかない金太郎が鯉の背中になんか痛くてまたがれ へんはずやで〜」とか、 まだまだ他にもあると言い「この話はぜったいおかしい…」と言ふのである。 う〜ん、それもそぉやな〜… としか言いやうが無かった。 とほっ 孫とする 御伽草子に 盆の風 |
| 2005年08月31日 |
| ■桂のおじさん -*--------------------------------------------------*- 今年初物のさつま芋の蔓を炊いたので、それを持って久しぶりに桂のおじさん(父の弟)宅を訪ねた。 おばさんは私の母の妹で、私にとってこの老夫婦は両親のやうに貴重な存在なのである。 家が、桂川、桂離宮…などで有名な西京区桂にあるので、桂のおじさんと言っている。 私が行くと玄関を開けて「まぁまぁ、よう来てくれたなぁ、さぁさぁ上がって上がって」と昔と変わらない二人のしぐさを見ると急に懐かしさがグッと込み上げてくる。 残暑厳しい昼下がり、座敷机に三人で冷たいスイカをかぶりながら「甘いね」「おいしいね」と言いながら、おばさんに「ようけ食べてや〜」と勧められ二切れ程、多目に頂いた。 今年85才のおじさんは近所の友人と毎日喫茶店に入り楽しいおしゃべりをするのが日課になっているそうだ。 それでもおばさんに言わせると「今のことをすぐ忘れたり、時々老人ボケの症状が出て困ることもある」とか「喫茶店でも毎日古い同じ話をしてるんと違ふやろか」と笑いながら話していた。 おじさんは全くそんなことに気がついてない様子だった。 不可思議境 60代は 青二才 |