2005年11月02日
■幸の日々
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最近、私の人生に異変が起きている。

自己流で作った「鯛のあら炊き」が妻の
「上手に炊けてるよ。こりゃ天才的やで〜」との一言ですっかり気を良くし、それ以来ちょこちょこ台所仕事をするやうになったのである。

若い頃から炊事だけは絶対出来ないものだ、と思い込んでいた私が何の抵抗もなく夕飯ごしらへなどが出来るやうになり驚いている。

それどころか今では食材を求めスーパーに買い物へ行くのが楽しみで、店の買い物カゴを手にした瞬間、何物にも変へ難い心の充実感を抱くやうになった。

豆腐‥玉子‥こんにゃく‥えのき…など値段を見て迷ったり、納得したりの品定めはハラハラドキドキの連続で、世の中にこれ程面白いことが、こんな身近にあったのか…と思い知らされ
『足下を掘れ、そこに泉あり!』
との大聖哲の叫びが、この事だったのか…とわが身で初めて体験したやうな気がした。

この事を妻に話すと「そんな気分になる時がたまにある」
と言っていた。



2005年11月09日
■生涯青春
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気持ちの良い小春日和の昼下がり、皇室にゆかりの深い青蓮院を訪ね、千玄室裏千家前家元の特別講演を拝聴させて頂いた。

講演のテーマは「こころの茶」と掲げてあった。

茶道を極めた千玄室さんは80才を過ぎて尚、かくしゃくとして眼光鋭く威厳を感じる人である。

真心込めて点てた一番茶を勧めるのは相手に対する最高の礼儀であり、程良い温度(70℃)の湯で茶筅して「差し上げる」「頂く」と云ふ崇高なこの行為から「和の心」が生まれ、争いのない世界が広がっていく。

人の心を安寧にするのが茶の世界である‥と語り、戦時中は特攻隊として出兵し今は亡き俳優の西村晃さんとは兵隊仲間で緊迫した状況下でも茶を点てて心を癒したものだと貴重な体験も語っておられた。

今では中国の北京大学の講師をも勤められ日本、中国、韓国の青年に茶道を通じて日本の文化を教え互いの文化を交流させてアジアの平和の為に尽力されている。

茶道を学ぶことが人倫道徳の道を学ぶことに通じると語り、これからも何処へでも出向き世界平和の為に言うべき事ははっきり言ふ!と確信ある力強い言葉で一時間の講演を終えられた。

文化力溢れる千玄室さんのパワーに初めて接し、「生涯青春」と云ふ言葉にピッタリの人だと思った。



2005年11月16日
■朝見の儀
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紀宮さまが両陛下にお別れのあいさつをされる「朝見の儀」の写真が新聞で報道された。

嫁ぐ日を前にして三人の表情を見事に捉えたこの写真は人間の心の襞まで伝わる素晴らしいカラー写真である。

儀式ではローブデコルテに勲章を着けた正装の紀宮さまが宮殿・松の間で両陛下それぞれに「長い間深いご慈愛の中でお育ていただきましたことを心よりありがたく存じます」とあいさつ。

両陛下からも「楽しい家庭を築き社会の良き一員となっていかれますように」とはなむけの言葉を贈られた。

皇室の出来事とは云え、人間として最も大切な報恩の心を伝へる尊い儀式の写真である。

あまりにも高貴な光景を見て私の胸がキュンと熱くなり涙が込み上げて仕方なかった。

この後、紀宮さまは「長く親しんだ所を去ることが強く実感され、静かな寂しさも感じております。」と感想を述べられている。

天皇陛下が愛娘に向けられる慈愛あふれる眼差しを見事に捉えたこの写真を切り抜いて、又しては拡大鏡で見ながら感動の涙をこぼしている今日この頃である。



2005年11月23日
■醍醐の秋
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♪秋の夕陽に照る山もみじ〜
 濃いもうすいも数ある中に〜
 松を彩るカエデやツタは〜
 山の麓の裾もよふ〜…

と懐かしい唄を口ずさみながら醍醐山の麓を歩いていると、真っ赤な実をたわゝに付けた大きな柿の木に出くわした。

木の周辺には沢山の柿の葉が落ちていて、その美しさに目を奪われてしまった。

誰もいない田んぼの土手に腰を下ろし、自然が醸し出す秋の色を丹念に観ることにした。

柿の葉を拾い、
「う〜ん、えゝ色してるねぇ〜」
「うわぁ〜こりゃ〜織部好みの柄やがなぁ…」
などと一枚一枚に語りかけていると、

「新作でっせ〜」
「こんなんどうどす〜」
と言ってヒラ・ヒラ、ハラ・ハラ…と静かに美しい柿の葉が降ってきた。

どの作品も一年の風雨に耐へて忍んで『もぢずり』出した逸品物ばかりである。

私は宝物でも得たやうに醍醐の秋を満喫して帰ってくると家の前にも美しい「こぶし」の葉が落ちて待っていてくれた。

夜は久しぶりに「志野織部」と「萩焼」の抹茶茶碗を使って妻がお茶を点てゝくれた。

柿の葉と、こぶしの葉にお菓子をのせて‥‥。


  柿紅葉 入れてわが家の 茶会かな



2005年11月30日
■安宅の関
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NHKの大河ドラマ「義経」で『安宅の関』の名場面を見た。

白紙の巻物を広げ「勧進帳」を読み上げる(松平健が扮する)弁慶の名演技を見ながら私は、ふと48年前のことを思い出していた。

中学3年生の、最後の学芸会の劇が『安宅の関』だった。

配役は、富樫が洋ちゃん。
義経が岸田君。
弁慶が英規さん。
強力が清水君。
その他、山伏A、B、C、D‥‥。

私の役は山伏Bだった‥と記憶している。

しかし、どんなセリフを喋ったのかは定かではない。

富樫役の洋ちゃんは複雑な胸のうちを目で演技していた。

そして主君の義経をたたく弁慶役の英規さんの迫真の演技は松平健に負けないくらい上手だったやうな気がする。

演技指導は担任で芝居好きの大石先生だった。 

私はこの劇の設営にも携わり、バックに青く美しい大きな海と松の絵を描いたことを覚へている。

今では懐かしい竹馬の友との思い出である。

私はいつの日かチャンスがあれば四条・南座で歌舞伎の「勧進帳」が見たいものだと思っている。


  顔見世や ことしの目玉 藤十郎



2005年12月07日
■忘年会
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関西でも屈指の紅葉どころ箕面に幼なじみが集い恒例の忘年会が催された。

昼には皆で大きな温泉に入りお互いの健康に感謝しながらゆっくりと身体の芯まで温まった。

その後、紅葉の山を見おろす高所にある素晴らしい部屋で鍋を囲み賑やかな宴会となった。

私の隣には10年以上ご無沙汰で久しぶりに参加した女性のNさんが座った。

Nさんは中学校時代にわんぱく小僧にいじめられ、毎日辛い思いで登校していた。

経済的にも私の家ほど貧乏はないと思っていたんよ・・と昔の苦労話を聞かせてくれた。

そのNさんが今は大阪で素敵な家族に囲まれ幸せな日々を過ごしている。

「…人生は最後の方が良かったら、それが幸せだと 最近思えるやうになってきた。」と言ふのである。

当時のNさんをよく知っている私は、この話を聞いて涙が出るほど嬉しかった。

そして、この人は『強い人だ!』と思った。

「若い時に苦労した人が一番幸せになる権利があるんやで。」と私が言うと、Nさんは大きなエビを頬張りながら、ふふふ‥と誇らしげに笑った。


  冬しぐれ 花より団子の 箕面山



2005年12月14日
■夢灯り・百人一首
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『春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山』
新緑の若葉風を詠んだこの歌は1300年以上も昔の女性天皇、持統天皇の句である。

文字を見るだけでも爽やかな初夏の風景が浮かんでくるので不思議だ。

『君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ』
仁和の帝、光孝天皇はこのやうに詠んでいる。

人間天皇としての人柄にふれてホッとした安らぎを感じる。

また源氏物語の作者、紫式部は
『めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに雲がくれにし夜半の月かな』と詠んでいる。

学校の教科書でおぼえた柿本人麿、山部赤人、小野小町、紀貫之、清少納言など…。

高貴な人が詠んで遺した「百人一首」にこそ悪世現代を生きる日本人のすさぶ心を根底から揺り動かす先人の魂の叫びが宿っているやうに思へてならない。

…とまぁ、こんなことを考へながら私の知的財産
「手作り百人一首かるた」を今日も創り続けていまんにゃわ。

この時期になると、つい遅くまで頑張ってしまふことがあり寝床に入っても「三笠の山に出でし月かも〜」とか「世に逢坂の関はゆるさじ〜」「いにしへの奈良の都の…」などなど美しい言葉が次から次へと浮かんでくる。

今朝も一番最初に喋った言葉が『今日を限りの命ともがな〜』だった。

傍らで妻が「へぇ〜今日一日、命がけで仕事すんの」と言った。


  年用意 百のたましひ 夢灯り



2005年12月21日
■わが家のクリスマス
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一年くらい前からぐらぐらしていた下の奥歯が抜けた。

私は、お産の苦しみの後に対面する母子のやうにやゝ緊張した気持ちでこの歯と対面した。

若い時の虫歯治療の痕はあるものゝ硬くて大きな歯でびっくりした。

それにしても長年一緒に生きてきた歯が抜けて、これ程までに感慨にふけったことは今回が初めてである。

形は不細工で愛嬌があり茶褐色に変色したところもある…手に取って眺めていると時の経つのも忘れるくらい面白い。

食事の最中だったが、この先滅多にないチャンスなので傍らの妻に「見せたろか〜」と言ふと「いらん、いらん」と言って横を向いた。

かれこれ5時間位ひねくりまわしているが一向に飽きがこない。

今度のクリスマスに4才と8才の元気な孫がくるので、みんなでケーキを食べながらこの歯を見せてやろうと私は密かに考へている。


  クリスマス 楽しみひとつ 増えにけり



2005年12月28日
■小野の里にて
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昼食の後、久しぶりに小野の里を散歩した。

目の前は山科区、伏見区の町並みが一望できる素敵な場所で、ここへ来るといつでも気分が爽快になる。

冬の陽射しを浴びながら畦道をのんびり歩いていると足元をピョンと跳ねるものがあり「あれ、何んだろう‥?」と思ってよく見るとイナゴのやうである。

「まさか今頃…??」と思って更によく見ると枯れ草の色をしているがまぎれもなくイナゴだった。

年の頃なら100歳くらいに見えるイナゴである。

生きることの難しさを痛感しながらも懸命に生きている私にとって、このイナゴの逞しさに敬服し尊敬の心がふつふつと涌いてきた。

手の平に乗せて、見れば見るほど畏敬の念が涌いてくる…。

「あんたは立派だ!お前の根性だったら大丈夫や、 次は人間に生まれてこいや〜人間はえゝぞ。」と語りかけてやった。

「わしがお前をどれだけ尊敬しているか、 今わしに出来得る限りの誠意を示してやろう。」と言って
『がじんきょうにょうとうふかんきょうまんしょいしゃが にょうとうかいぎょうぼさつどうとうとくさぶつ』と不軽菩薩で有名な24文字を唱えてやった。

この年老いたイナゴは長い2本のヒゲを上下に振って「ありがとう、ありがとう。」とうなづいているやうに私には見えた。

「もし人間に生まれたら名前は貫太郎やで、 蝗(いなご)の貫太郎やで〜。」と言って念を押し、お互いに良い正月を迎へる事を約束して別れた。

心なしか今日は北風が温かく感じるくらい嬉しい散歩となった。


  たくましき 蝗に遭ひし 年の暮れ


メルマガ・百までクスクスをご愛読の皆様が良いお年を迎えられますやう心よりお祈りいたします。
来年も何卒よろしくお願い申し上げます。